使われる言葉で印象は変えられる?


普段、何気に使っている言葉。単語一つで印象がまるで変ってしまうことがあることを感じています。決してウソやデマではありませんが、受け取る印象が変わってしまいます。
例えば、今国会が開催されていますが新聞やインターネット記事での見出し「与党案に野党反発」確かに与党提出の法案に野党が反対したことは事実なのでしょう。しかし「反発」との言葉。正しい意見に対して野党が駄々をこねているように感じはしないでしょうか。これが「与党案に野党反論」なら野党はきちんと理由があり、言論で抗議している様子が伝わってきます。
大きな反響を呼んだニュースの見出しとしては、数年前に起きた沖縄の海上で米軍ヘリが事故を起こしました。幸い乗組員は事前に脱出したためけが人はいませんでしたが、その時の新聞見出しが「米軍ヘリ沖縄海上に不時着」でした。機体が原形をとどめないほどバラバラになったにも関わらずにです。不時着だと形を残して、単に海に着水しただけの様に感じないでしょうか。乗務員が全員脱出してコントロール失った状態で放置したのですから、この場合の適切な表現は「墜落」です。NHKを始め大手新聞すべてが同じ「不時着」との言葉を使っていたことは違和感しかありませんでした。
また、数年前に視聴していた太平洋戦争の再現ドラマで、住民がアメリカ軍に追い詰められ崖から飛び降りるときに「日本国万歳」と言って自害する様子が描かれていました。これも多くの文献や証言、当時の社会背景、軍国教育の状況からすれば「天皇陛下万歳」と言って自害していったのが歴史を再現するドラマとしては適切なのだと思いました。これも「日本国を守るために戦った」との当時の太平洋戦争を美化することにつながりかねません。映画「硫黄島からの手紙」では最後の突撃の時に、渡辺謙扮する栗林中将が「天皇陛下万歳」と言っていました。こちらの方が適切に当時の状況を表していると思いました。

私は、表現とは多種多様であるべきで、何かひとつに統一するべきだなどとは思っていません。そして、何かを伝えようという時に必ず、その新聞社や記者の考えなどが入るのは当たり前とも思います。しかし、事実を正確に伝えようとしたときに、権力者からの圧力を受けることがあってはなりませんし、権力への忖度は誤った方向へ導いてしまう可能性があります。

現在の大手マスメディアの幹部は定期的に首相と会食をする、記者クラブでは質問をクラブ内で回す、あらかじめ質問をする人を事前に割り当て、その他のメディアを質問から排除するなど過剰に権力にすり寄っていると感じます。そして、私たちも何気ない言葉を注意して見ていないと無意識に権力者に都合の良い考えを取り入れてしまっているかもしれません。