心地よい言葉「無駄を省く」を考える


「無駄をなくしましょう」と言われて反対する方はほとんどいないと思います。しかし、その「無駄」と呼ばれているものの中味となると、良く見ていかなくてはなりません。
新型コロナ感染症を含む感染症予防に対する備えは「無駄」として国立感染研究所・保健所の数も人員も、予算も削られてきました。日本共産党はこの新型コロナ感染症パンデミックの前からこのことを国会で取り上げ、警鐘を鳴らしてきました。
さらには病院のベッドです。平時に空いているからと「無駄」と称して削って来た結果、現在どのようなことになったでしょうか。大阪では医療崩壊が起こり、必要な手術や治療が受けられない事態となっています。通常時がいっぱいいっぱいで業務をしていると緊急時にはパニックとなり、対応できません。設備もいる、人員もいる、訓練もいる、連絡体制もいるなど普段から備えてないことには機能しません。「その時に考えれば良い、対策すれば良い」ではとても間に合いません。緊急時とは多くは災害などで人の命がかかわってることが多く、取り返しがつきません。
「無駄」とは伸びしろのようなもの。なんでもかんでも「無駄」と称してカットしていけば弾力のない行政・社会となり、危機管理ができない、余力のない状態となります。
もっとも「行政の無駄」と称してカットされ、その分私たちへの行政サービスがなにか向上した事例というものを私は知りません。