人が残酷になる時は「悪いことをしてやろう」と言うときではないと思います。「自分が正しいと信じて疑わないとき」なのだと思います。「自分は悪いことをしている」との自覚がなければ攻撃に歯止めがありません。戦争に突き進むときは「他国を武力で侵略します」なんて言って始めた政治家は誰一人いません。「国家安定のため」とか「平和のために戦わなければならない」とか「他国から攻められそうだから攻められる前に愛する家族を守るためなんだ」とか。どこかで聞いたことがあるセリフではないでしょうか。又、宗教絡みにも当てはまります。自分の信じている宗教こそが絶対正しいとなればその他の宗教は邪教となり「正しい教えを広めるため」との大義名分は容易に成り立ってしまいます。世界で、今でも宗教や部族対立は繰り返されています。長い間争いが続けられ、最初の事の発端は何だったのかすら忘れ去られていることもあります。他者を尊重する。違いを認め合うこと。これに尽きますが、時に支配者は自分の悪政に目が向かない様に他へ悪者を仕立て上げることでかわそうとします。それは他国であったり、若者には高齢者を、民間には公務員を、非正規には正規職員を等々。もっともらしい理由を付けて。歴史が繰り返してきた支配者の常套手段です。私達はしっかりと政権の言動を一つずつ検証し、その目的について常に懐疑的である必要があります。もっともらしい言い訳が必ずくっついていますから。権力者に対しては「疑ってみる」くらいでちょうど良いのだと思います。