心の隙間に入り込む差別主義について


ある支持者の方から近隣の方とのトラブル相談を受けました。もし実際に生活に支障をきたすレベルの嫌がらせを受けている場合であれば警察の範疇ですし、法的な問題ならば弁護士の範疇となります。しかし、そのとっかかりとして私がお話を聞くこともあります。隣の都営住宅に住む方から嫌がらせを受けているとの事。都営住宅に住んでいる方が相談者の私道を通行する際に関してのトラブルですが、その中で相談者から「都営住宅に住んでいるなんて若い時に楽して遊んでお金が無くなったから入っている人たちだ」と悲しくなるような発言。さらに「都営住宅には中国人もいっぱい住んでいる。ルールを守らないで入居しているのはたいてい中国人だ」とも。都営住宅に住んでいる方との近隣トラブルでナーバスになっているとは思いますが、こうして簡単にヘイトに結びつくのだと実感しました。「都営住宅に住んでいる方で仲の良い方はいますか?その方も若いころ遊んでいたから都営住宅に入っているのですか?」と聞いたところ「友達は違う」との答えが。「そうですよね。近隣に迷惑をかけている方が都営住宅に住んでいるからと言って都営住宅に住んでいる方を全部悪い人かの様に言うのはおかしいですよね。同じように中国の方を全部悪い人かの様に言うのもおかしいですよね」と言うと、あまり納得していなかった様ですが、なんとなくわかっていただけたと思います。これが他にも「女だから」とか「〇〇主義者だから」とか「△△教だから」等、全てを自分と他者を区分わけして自分を正当化しようとしてしまう心こそヘイト(差別主義)の出発点になっているように感じました。知らず知らずに入り込む差別主義を私たちも意識して、なくしていかなくてはならないと思いました。